救急救命と延命治療。あるいは、どんな人生を送りたいかって話

ヨミドクターで救急救命と延命治療に関するコラム記事がありました。

延命治療について、なんて、普段の生活じゃ考えないですよねぇ。
そういうのって、ガンとかなんか重い病気がある人が考えるもんだと思いません?

でもね、延命治療に限らず、「どういう治療をするか」の判断てある日突然やってきたりします。「治療をするかしないか」てことも、あるかもしれない。

どうします? 自分が、家族が、親が、ある日突然倒れたら? 
上のコラムや、下の我が家の状況に、もしもあなたが置かれたら?

事前の意思表示で、ありのままに

我が家の場合、祖父母は「尊厳死協会」に入っていて、自分の最期はこうして欲しいという意思表示をしていました。
例えば、


  • 現代医学で不治の状態であり、すでに死期が迫っていると診断された場合には、ただ死期を延ばすためだけの延命措置はお断りします。


といった意思表示カードに、署名をして携帯していたわけです。
まぁ、ドナーカードみたいなもんですね。

これがあったので、祖父が有料老人ホームに入るときにも、同様の同意書を作成してサインしました。

結果的に祖父は、朝起きたら少し息苦しい。計ってみると血中の酸素濃度が低い。
ということで念のため救急車で搬送され、そのまま3時間足らずで息を引き取りました。

亡くなる日の朝も、起きて身支度を整え、服を着替え、腕時計をつけ、財布をズボンのポッケにいれていました。

洒落たシャツにお気に入りの時計、いつもとなんら変わらぬスタイルで旅立って行ったのは、本人にとって良いことだったと思ってます。

実際、マスク型の人工呼吸器で無理やり酸素を送り込んではいたんですが、いわゆる家庭用の酸素ボンベでは全然足りないレベルを押し込んで、それでも血中の酸素濃度が上がらない状態だったわけで、まぁ、寿命だったのでしょう。

駆けつけた時はまだ心臓が動いていて、「今からでももしや」て思わないではなかったけれど、本人が望まないな、とわかっていたので、見送る側も気持ちとしてだいぶ楽だったのです。


それは突然やってきた。人の命を判断する瞬間

母は、肉体的にはそんなに大きな病気もなく元気な人でした。
それが、ある日突然倒れたわけですよ。
私が駆けつけたときには、すでにER(救急救命室)で人工呼吸器を気管に挿入されてました。救急車で運ばれて、とにかく一刻を争う状況で、助けたい一心でのことです。

しかし、救急救命のお医者様たちは知りませんでした
母が「喘息持ち」であることを

駆けつけた翌日、母のお薬手帳やら、普段使っている薬やらをありったけひっつかんで病院にいき、ERの医師たちにとって未知の人だった母について、こういう既往症がある人ですと知ってもらう。

その作業の中で、ERの医師から人工呼吸器の説明を受けました。
曰く、

気管挿入型の人工呼吸器は、容体が安定してきて人工呼吸器を "抜く" ときが危ない。抜いた直後に呼吸が再び安定しなくなることもありえ、そうなると、
気管を切開して人工呼吸器を取り付ける(一生付き合う)
という選択もありうる
ねこるの母の場合、喘息があるので、一般の人よりこの危険性が少し高い、と。

これを聞いたときの不安感と絶望感たら、ハンパなかったです。
不謹慎ですが、この時に脳裏をよぎったのは、

一生人工呼吸器になるくらいなら、助からなければよかったのに

です。

一生人工呼吸器? まだ60だよ? あと何年?
ていうか、医療費いくらかかるの? 入院? 在宅? 在宅って誰が見んの? 私?

て。一瞬で。まるで走馬灯ですね。

一度取り付けた人工呼吸器を、外すのはとても難しいことです。
殺人と紙一重だものね。

だから医師からは、

「人工呼吸器を外して、万が一容体が悪化した時は、"再度つけるか、つけないか" の判断をしてもらいます。」

と言われました。

ついさっき、
「一生人工呼吸器になるくらいなら、助からなければよかったのに」
と思ったばかりなのに、その "判断" を自分がしろって言われると今度は
「そんなん、お母さんは生きてたいに決まってんじゃんよ」
という想いが頭をもたげて、完全に板ばさみです。
私に、母が生きるか死ぬかの判断をしろってのか! て。

いや、ほんと、しんどかった。
しかも考える時間は、二晩くらいしかなく。

結局、母の人工呼吸器は無事に外れ、私の眠れぬ夜はひとまずなんの "判断" もしないまま終わりを告げました。


おわりに

こんな話は、普通に生活していればあんまり気にしないトピックですよね。
特に若けりゃ全然。私だって、母だって、「まさか」とすら思ってなかったですもん。

しかも悪いことに、いざ「その時」が来ても、救急救命の医師と意志の疎通ができるとは限りません。
(ギャグじゃないよ)

延命治療と救急救命。難しい問題です。しかもちょっと重いし、なんか暗い(イメージが)。なんか、考えるにも知識がいりそうな気がしちゃう。

でも、実際はどうありたいか、ていう芯のとこの話なんですよ。
それなら、知識がなくても考えられるじゃない。

ふとした時に家族とそんな話をしておくと、もしかしたら「いざ」という時、家族の心の負担を少しだけ軽くしてあげることができるかもしれません。


祖父の最期を看取ったうちの家族が、心穏やかであれたように。